n005 朝から開いてる立呑み
2年ほど前からの糖質制限で、30年来の高血糖値はうまい具合に治った。お酒と高血糖値の関係も、糖質の少ない酒なら何の問題もないこともわかった。だから、苦労なく血糖値を下げることができた。カロリーは関係ないのだ。おかげで、今は一切の薬も飲まず、飲んだくれながら、それなりの健康生活を過ごしている。ただ、ご飯や麺類、パンなど糖質の高いものはなるべく食べないようにしている。一番困るのが外食。それも朝食や昼食だ。夜は居酒屋メニューが最適だ。さて、奈良の現場からの帰り、乗り換えの日本橋駅(近鉄から地下鉄堺筋線に乗り換えるので、改札の外)で、いつもと違う場所から出たら、食べ物屋がたくさんあって、たまには外で昼食でもと思ったのだが、なかなか居酒屋的なメニューのある店が見つからない。そうこうしているうちに、なんと、朝からやっている立ち呑みを発見したのだ。9時半から22時半までで、角ハイのシングルが\200円、ダブルで\280円。ワインもいろいろあって、グラスだと\280円が主流だ。信じられない値段だ。もっとうれしいことに、昼間から酒を飲み、アテを食べている人たちが大勢居るのには本当にうれしくなった。グダグダ飲むのではなく、さっと来て、さっと飲んで、さっと帰る。ここが、そういえば日本橋だったんだと、改めて認識を新たにした次第。店の名前は忘れたが、なんばウォーク店と書いてあったような。
No.13(2000.09.04)『時計塔、水上集落、風の盆』
ゲルの続きは次回にさせて頂く。先週、月曜はJR兵庫駅前キャナル広場の時計塔(センチュリーライオンズクラブの寄贈)のデザインの件で、夜、神戸へ。近くの明親小学校の生徒の書いた絵をもとに時計塔を考えるというとんでもなく無難しい話だが、彫刻家の飯塚八郎さんの原案を得て、なんとか話がまとまった。 11/11にお披露目の予定。4人の子供の絵から彫刻が生まれる。火曜からJUDI国際セミナーでバンコクへ。旧チャオプラヤー川の運河を3時間ほど上って、水上集落観察。なかなか良い企画で新たな興味が増大。 2日名古屋空港から越中八尾に。風の盆は、あいにくの天候だったが、日常的な都市観光(歴史や文化の積み重ね)と、イベント観光の差はすごいものだ。あまりに限度を超えた観光客の群れに呆然。『今田町の家』が第15回日本建築士会連合会賞・作品賞を受賞。山間の小さな住宅がもらうのは始めて??? 時代なんだろうか。
No.14(2000.09.11)『定住ゲルの明日』
NO.010で書いたように、レポートの題名は「ゲルの包容力」。解体移動が象徴的に語られるゲルであるが、遊牧民の生活には柔軟さ、言いかえると強さ(F・マーローの言う男の優しさ?)が必要で、そういう意味での包容力とか安心感がゲルにはあらわれている。それが様々な社会問題をかかえる都市の定住ゲルをなりたたせているのではないかというのが僕の考えであった。その合理性は、機能性や利便性をはるかに越えるものである。都市居住者にとってゲルの持つ包容力はとてつもなく大きく頼れるものであるのだろう。だとすれば、定住ゲルはちょっとやそっとではなくならない。僕は、オニ(垂木)が何本か欠けていても平気な柔らかい構造を指摘したが、実際、震度12まで耐えられる柔軟な構造で、5~6人で住もうと思ったら、面積の広いアパートよりゲルのほうが狭さを感じないという話だ。ゲルはモンゴルの人々の大きな財産なのだ。
No.15(2000.09.18)『今田町の家』
今田町の家に、施主の友人が集まった。昔、僕と施主が知り合ったのは芦屋にある「THE BAR」 というトラッドなバーで、そこに集まってくるメンバーは、つまりは誰かの友達というわけだが、集まって施主の昔の家(震災で全壊)で、鍋を囲みながらイエメンやトルファンのスライド会なんぞをやっていたのだ。最初に敷地を一緒に見に行って、山で愛用の靴を壊したIさんは、何の間違いかその後施主とうまく行かなくなり、2年前の春の竣工後始めて訪れるという劇的な日でもあった。バーのマスターやその卒業生で南船場で「RARITY」という素敵なバーをやっているTさん、その他仕事の都合でなかなか昼間集まりにくいメンバーだ。「山の木々を通り抜けてくる風がこんなにも気持ちがよいのか」「そういえば、こんな気持ちの良さはしばらく忘れていたねえ」ライスペーパーで包んで食べた生野菜もおいしかったし、うーん、まさに至福の時。