top of page

n007 『人生を彩るサイドストーリー』

団地再編プロジェクト絡みで、男山地域再生基本計画を、八幡市と協働で作成した。市は、ふるさと財団(地域総合整備財団)の、まちなか再生支援事業の補助金のうちの、大学連携型に採択され、実施したものであり、その報告会が6日に東京であった。従来の、まちなか再生専門家活用型に加え、今年から大学連携型がはじまり、本年度はそれぞれ、2件と5件が採択され、その報告会である。大学連携と言っても、教員と学生が取り組むものが多いが、団地再編プロジェクトのように、大学が拠点となって専門家等も多く参加して、行政と協働で行うものなど、バラエティに富んでいる。いろいろな取り組みが聞けて、それなりにおもしろかった。午後からの報告会だったので、昼の時間に、久しぶりに早稲田に行き、大隈講堂近くの高田牧舎で、早稲田チームが取り組んでいる、例の(n003)の戸建てニュータウンのまちづくりアクション・プランについて提案している件を説明するランチ・ミーティングを行った。3月末に向けて提案をまとめるが、地元大学を巻き込み、具体化すればおもしろい。報告会、懇親会の後、夜は、近くに住んでいる横山君(カンポンプロック調査時の団長)と久しぶりに合流。後楽園にある商業施設のバー。後楽園に来るといろいろなことを思いだす。学生時代、中学の同級生が東大大学院受験に僕の下宿に泊まりに来て、帰り際、競馬を教えて帰った。当時、後楽園には、手売りの場外馬券売り場があって、買い目に応じてぐるぐる回って馬券を購入する。初めて買ったのが、シュアーウインの単勝。騎手は、今は亡き中島啓之。顔も性格も良く、それから彼のファンになる。当時奥平厩舎所属。その縁を継ぐ横山典弘が、昨日日曜日の京都記念を、意表を突く逃げで制し、なんだか人生の歴史は面白い。昔の後楽園球場にもよく通った。長嶋(選手時)優勝の時、外野席からグランドに飛び降りたことも懐かしい。その後、近鉄、楽天と応援球団が代わったが、昨年末の優勝につながる。ふうむ。先の見えない人生の起伏と、それを支える数々の脇の物語。結局、前回の話につながるところも面白い。冬の恒例丹波ツアーも続いていて、9日だったが、前日の大雪だったら、行けなかったというのが又面白い。

No.19(2000.10.16)『共和主義にみる「公」と「私」』

丸茂さんから頂いた1/6付けの朝日新聞のコピー。川出良枝東京都立大助教授の、「歴史と向かい合う-下」という文章だ。「共和主義の考える公共性は、個人の私的な利害と単純に排他的な関係にあるものではない。「公」のために「私」を犠牲にすることが、倫理的に価値の高いものであるとの思いこみは、共和主義とは無縁である。自由な政治参加を支えるのは、各人が国家に依存しない生活基盤をもち、国家から自立した存在であるという社会条件である。・・・私人としても十分生きていける者が、得にもならないのにわざわざ骨の折れることを引き受ける。共和主義的な発想の本質とは、ある意味では「不自然な」市民の行為に、人間の可能性と偉大さのあかしを見いだすところにある。」10/20のJUDIセミナーは、御坊市島団地の再生事業を一緒にやっている平山洋介による「パブリックを問う-2 ワイルド・ニューヨーク」

No.20(2000.10.23)『ゲーリーのEMP』

「わかりにくいことがパブリックの本質」平山洋介は、公共空間は競合空間であるという。さて、「風を切り、青の反射を閃かせてモノレールが滑り行く。・・・<EMP>(Experience Music Project)は、いつかTVで見たSFアニメの近未来都市もかくやと思わせるような、どこか別の星の時間を刻んでいる。ゲーリー設計の<EMP>がシアトルにオープンしたのは、6月23日・・・ロックカルチャーを記念する次世代のミュージアムとして設計された。しかし、その未来建築のアイコンたる側面も見逃せない。建物を覆うメタルパネルは、全部でおよそ 4,000枚。全てコンピューター制御によりカット、立体成型されている。前作(ビルバオ・グッゲンハイム美術館)をはるかにしのぐ、複雑にして有機的なフォルム・・・。デジタル革命のもと、建築がどこまで自由になれるか-。その問いに限りなく近い答えが、ここにある。」BRUTAS Casa 11月号

No.21(2000.10.30)『米子行き』

日本建築士会連合会賞の表彰式で、米子まで行って来た。士会連合会の全国大会と言うことで、鳥取西部地震の報告が挿入され、進行が遅れ、菊竹清訓会長との写真は失礼して、途中退席させていただくはめになった。特急「やくも」からの車中風景は、日本の美しい農村風景、渓流風景がまだまだ残っていることを確認させてくれたが、鳥取県内に入るとさすがに屋根のブルーシートが目立つ。車中からの大山は晴れ渡った空に雄大な姿を見せていたが、そのふもとに建つ「溝口の山荘」(jt9611)は、北に開けた細長い崖地に建つ建物で、施主に言って元々の敷地をこの敷地に変えてもらって建てただけに、崖崩れを心配した。溝口町役場が建て替えるぐらいの地震の中心地であったからだ。外壁の漆喰が少し破損したぐらいという報告にホッとしたのがついこの間。阪神淡路大震災とは比べるすべもないが、やはり、現地では大変な出来事ではある。

Call

T: 123-456-7890   F: 123-456-7890
 

Contact

info@mysite.com

  • facebook
  • Twitter Clean
  • w-googleplus

Follow me

 

© 2023 by Nicola Rider. Proudly created with Wix.com
 

bottom of page