n018 『揃えないこと・揃えること』
一週間が短い。あっという間に更新の時期が来る。どうしても遅れ遅れになってしまう。ということなのだが、今回は前回更新から間もないので、少し古い話題を。2012年度第7回のJUDI(都市環境デザイン会議)関西主催の都市環境デザインセミナーは、「揃えないこと、揃えること-美しい南仏小集落から-」江川直樹(スライド)×井口勝文だった。「世界の集落に魅了されながら日本の集合住宅のあり方を提案し続けられている江川直樹さんは、昨年4~7月の3ヶ月間じっくりと、南仏の小集落を巡りました。それは自らの仕事を振り返り、持論の「場所の声を聴く」旅であり、これからの日本の都市デザインのあり方を再考する旅でした。産業革命以前の街と以後の街、成る(出来る)街とつくる街、持続的な街と断絶的な街、自然発生の街と計画した街、そして揃えないデザインと揃えるデザイン……その意味するところを問い直す具体的かつ根源的な都市設計論が期待されます。南仏の小集落の映像を楽しみながら、日本の都市へのメッセージは何か、対談形式で話しあってみたいと思います。井口勝文」というもので、いつものテープ起こしの記録ではなく、<当日の記録(ビデオ)>でHPにアップされている。つい最近、僕も改めて見る機会があり、しゃべっているのが僕なのに、思わずずっと見入ってしまった。「JUDI関西」で検索していただければ、いきなり「セミナー記録」の頁になるので、該当の部分をクリックして頂ければ見れる。JUDI関西でも初めての試みで、最初の部分は少し見づらいが、だんだん落ち着いてくる。時間のあるとき、または気分転換のときにでも、是非ご覧頂ければ幸いである。
No.52(2001.06.05)『中之島西部』
日曜日、都市大阪創生研究会のチームで、四つ橋以西の中之島、その界隈を歩いた。木津川橋周辺の江之子島、川口あたりには、結構マンションも建っていて、人が住んでいる。地下鉄阿波座にも近い。川口基督教会あたりの、未だに使われている古い建物が雰囲気を残しているそばで、新しいマンションが建設中だったが、実際の見え方とは関係なく、手前に教会、後ろにマンションというイメージ広告が大きく張り出されており、なんともはや。おもしろいのは土佐堀川縁。川南は、肥後橋から湊橋まで1.3kmほどの長さにわたり、一皮建物が建っている。古い家屋、倉庫の転用利用、新しくモダンな家屋、このあたりは北に川を見る新しい魅力ゾーンになりそうだ。住宅立地としてもおもしろい。もちろん、巨大なマンション立地にはなり得ないので、奥行きのうすい、素敵な建築ができそう。常安橋から肥後橋にかけての川北も同様だった。
No.53(2001.06.12)『ナス』
「淡紫色のナスの花は折り目正しく咲き、多産である。ナスには無駄花がないと昔から言われてきた。実際は落花も多いのであるが。田舎の夏、ナスはどんどん実っていくので、どんどん食べなければならない。漬物、油炒め、蒸し物、煮物、へたつきのナスを釜でゆでて熱いうちに裂き、わさび醤油につけて食べてもよい。味噌汁にもいれるし、天麩羅にもする。私はなっているナスを糠味噌でくるみ、ナスの活造りと洒落たことがあったが、・・・。ナスはよく働いて偉い。秋ナスは嫁に食わすな。秋ナスはおいしさを増すので、嫁には食べさせないと、昔から嫁いびりの姑根性を表す諺としていわれてきた。秋のナスは種が少なく、子種に恵まれないから都の俗信もある。秋ナスは食べすぎると体が冷え、腹痛や下痢を起こし、女子は子宮を害するともいわれる。こう考えてくると、姑が何を考えているのかわからなくなる。」立松和平 日本花紀行
No.54(2001.06.19)『小屋』
「・・・大地との応答が必要だし、日本のプレハブ住宅が建築になれない原因はそこにあるように思うね。ローカルな場所の掘っ建て小屋のほうがよほど建築的なのは、そこに大地や場所との応答があるからなんだろうね。・・・」1998年の第7回都市環境デザインフォーラム・関西のテキスト用の対談で、<建築デザインと起伏>と題してしゃべった文章である。先日、本屋で、MICRO ARCHITECTUREとサブタイトルのついた、『小屋の力』という分厚い本を見つけた。「小屋は人が生きる営みの基本にかかわってくる。命を守る小屋、精神を入れる小屋、働く小屋には、文化の法を超えて収れんされるユニヴァーサルなデザインと機能が見える。その一方で、立地、気象条件、利用可能な素材が小屋に固有のかたちを付与してきた。天と地とのあいだに挟まれた有限の世界で小屋に注がれる力は無限の広がりを見せている。」 ワールドフォトプレス刊