n023 『レイモンドホール』
毎年6月7月に、三重大学の設計演習の非常勤に行っている。今年の課題は、「路地を介して集まって住むまちの姿を現代的に再生する」。国の重点密集地市街地に指定されている、三重県桑名市の赤須賀地区が対象。芦屋若宮の震災復興住環境整備を思い出させる課題である。来年は名古屋の某大学との共同課題にしようという話もある。その三重大学構内に、旧三重県立大学から移築された「レーモンドホール」(旧水産学部食堂)があって、昨年のこの時期は、用途廃止のまま放置されていた。
「改修終えた「幻のレーモンド建築」がお披露目 木造モダニズムのエポック『三重大学レーモンドホール』 三重大学内にある『レーモンドホール』の耐震補強を含む保存修理工事が終了し、同ホールを会場として4月16日から30日まで開催された「木造モダニズムの出発点ー三重大学レーモンドホール展ー」で一般に初公開された。長い間、アントニン・レーモンドの設計とは認識されていなかった<幻のレーモンド建築>。ヒノキの丸太を露出した明快な木造架構や、南側を全面開口にする大胆な空間構成は今見ても斬新だ。・・・これらの図面が、リーダーズダイジェスト社の現場事務所で書かれたものであることがわかった。このことにより、これまでレーモンドの戦後木造建築の出発点であるとされていた「麻布の自邸」(51年)よりも、設計期間が半年ほど早い(50年11月ー12月)ことが明らかになった(ケンプラッツ 2014/05/07)」6月5日から7月4日迄(平日のみ)、追加展が開催されている。三重大学の四季をテーマにした写真展が併催されており、南側を全面開口にする大胆な空間を堪能できないのが残念であるが、追加展の後も、施設課に申し込めば見ることができる。
No.67(2001.09.18)『我々の過去の為の未来』
土曜は、水谷(故水谷穎介)ゼミ10周年記念フォーラム2001に呼ばれ、なかなかに盛り上がったが、月曜は、表題の講演会。ローマ大学建築学部教授エンツォ・トゥリアコによる<生き生きとした都心>をいかに再生するかという話。地方のチェントロ(歴史的中心市街地)を取り上げて、質を観測するためのツールとしての「環境のアイ デンティティ化モデルシート」( CD-ROM)の解説を加えながらの講演であった。モデルシートはなにか、僕たちの言っている「環境構造シート」に近く、場所の意味を読みとり、連続的な建築・都市デザインの行為の拠り所を共有するためのものだと理解した。「過去の記憶」「質の高い秩序」「場所の論理」「場所の記憶を作る作業」「共同の記憶の再浮上」「複合的総体」「秩序の中で住民がつくった文化がヒューマンスケールを生む」「地域社会が共有する場所・形態の関係を新たな場所に書き換える方法」
No.68(2001.09.25)『思いがけない大阪、ええはがき展』
NO.47でお知らせした大阪ええはがき研究会の試作品展が開催されている。2001年9月22日(土)~9月27日(木)そねちか広場(JR北新地駅東改札東隣)10時~19時、2001年9月29日(土)サンライズビル3階ホワイエ(綿業会館南隣)10時半から19時、JIA(日本建築家協会)近畿支部都市デザイン委員会との共催で、素人っぽいが、気持ちのこもった絵はがきが100点以上展示されている。他の興味あるイベントもご紹介しよう。JIAシネマフェスタ。重化学工業と鉄鋼業として栄え、その後、汚染都市として没落したが、新市長は建築家と市民と共にみごとに”アメリカで最もすみよい街”に復活させていく。さて、その手法とは。「アメリカで最も住みよい街 チャタヌーガ市の挑戦」+「細雪」大映映画/昭和34年版9月26日(水)15時半開場で、16時から19時10分 ヴィアーレ大阪4F 本町駅1番出口東2分/入場無料
No.69(2001.10.02)『破産しない国 イタリア』
「ちゃらんぽらん、いい加減、無責任、危険、まやかし、汚職に溢れたイタリアの社会を、内田(洋子)氏は生き生きと描く。愛人と妻との間を往復する男・・・」「整然とした住み易い国ニッポンに育って、イタリアと関わり始めた当初、私も多くの日本人と同様、イタリアを蔑視するようなところがあった。しかし良く考えてみると、これだけどちらを向いても混乱している国が、これまで倒壊せず、いやむしろイタリアならではの独創性とエネルギーを発してさらに発展を続けているのは、奇跡のようなことなのではないか。よくわかりもせずただ表面だけを見てあきれているのは、まちがいではないか。素直に驚愕して、その奥深い底力を探ってみるべきではないか。そう思うようになってきたのである」と、「心配することはない。わたしたちはとかく「日本国」と「日本」を混同して考えがちだが、二つは重ならない部分もあるのだ。」水木楊