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n033 『ピッツバーグからトロント』

15日はカタール航空の関空着が遅れ、北田君のリヨンからの帰国に合わせて開催の脚や会臨時会合に直行も2時間遅れての参加も歓談。2次会に久しぶりのザバーで、帰って即就寝。◆翌日、朝からピッツバーグ行きの支度をして、慌ただしく今度は伊丹空港へ。芦屋川から阪急、モノレールのコース。空港ラウンジでメール等に対応しつつ、今回は成田まで。バーでスコッチ。エアカナダでトロントまでは11時間弱。トロントでの待ち時間がまた長く、空港内のバーでまたまたスコッチ。空港の端の端から乗るピッツバーグ行きは、bombardier Dash8・100で、座席は36席も乗客は30人ほど。夜中の23時過ぎに着いて、28Xのバスでオークランド迄1時間。とうに24時が過ぎているが、そこからホテルが見つからずウロウロ。病院前にいた人に聞くと、すぐにスマホで調べてくれて無事到着。なるほどスマホねえ。ルワンダでも使えたガラケーがアメリカでは使えないんだよねえ。ルワンダ帰りの機内でPCの液晶が壊れて、朝、修理の段取り(引き取りサービス)をしてきたので、今回は、買ったばかりのSurface Pro3 を持参。旅行中に覚えよう。ネット環境を確認して、フロに使って就寝。◆朝から、目当てのUPMCに。<University of Pittsburgh Medical Cente ピッツバーグ大学医療センターは、米国ペンシルベニア州最大の医療センターで、米国有数の非営利医療機関で、患者の治療、研究、技術、健康管理の分野における革新に定評があり、U.S.News & World Report 誌の「America's Best Hospitals」にも選出されている。UPMCは、同地域最大の雇用主として45,000人の従業員を抱え、収益は約70億ドル、 19の三次病院、専門病院、地域病院と、400の外来患者向け施設、医局、養護施設、医療保険、国際出資会社で構成されている。 ? 約5,000人の医師がUPMCと関係しており(うち2,300人を雇用)、業界トップ企業と共同開発を進めるなど、世界中の医療の安全性と効率性を高めるための革新的な技術とサービスの商品化も目指している。UPMCは大学とは別組織で、非営利団体経営による病院としては全米で大規模なものといえる。(www.pref.kyoto.jp/gikai/katsudo/torikumi/.../21kaigai-a2.pdf 20140818)>今回は、鉄の町から医療・健康の町として見事な再生を遂げたと言われるピッツバーグの現状を、都市デザインの面から確認することだ。ピッツバーグ大学の西端に多くの建物が空中廊下(ブリッジ)でつながって、存在している。丘陵地に建つ建物は古い建物でもそれぞれが分節され、スロープ造成のランドスケープも美しく、中は静かで、写真を撮っていても誰も咎めない。空に開いて開放的な空中廊下にはレストスペースがたくさん用意され、廊下の突当りも必ず開放的で、落ち着いた病院の佇まいだ。エントランスは吹き抜けがあり、病院の息苦しさをなくしている。セルフサービスの食堂も広く開放的で、吹き抜けもあり、ここでも同様だ。館内には美容室もある。廊下には、UPMCの案内ビデオが流され、サイン計画も地味目だがわかりやすい。建物は、うまく駐車場を低層部に内包しており、街角には表出しない工夫も見られる。UPMC群の外にある公園には、木陰や日向の用意された小さなレストスペースがいくつも作られ、それぞれに、バーベキューコンロが備え付けられていて、見れば、ベストコミュニティデザイン賞を受賞した看板も。このあたりの町を歩いて驚くことに、セキュリティポールがそこかしこに用意されていて、これは夜間の安全のためなのか、病人の安全のためなのか。この後、川を渡ってサウスサイドからダウンタウンまでを歩いたが、ダウンタウンにもそこかしこにUPMCの建物があって、400の・・・も納得できる。途中、インクライン(マノンガヘイラ線)に乗って対岸の丘の上からダウンタウンや周辺のまちなみ、川沿いにできたピッツバーグの豊かな自然を眺める。川沿いには自転車道が張り巡らされ、多くのライドバイクに遭遇したし、多くのジョギング中の人々にも遭遇した。さらにダウンタウンからペンジルバニア駅と歩く。人口67万人の鉄の町から30万人の医療・教育の町へと変身を遂げ、全米で住みたい町のNO.1に選ばれた町だが、オークランドやまちなかの整備されたところは美しいものの、川向こうのサウスサイドの道路沿いやダウンタウンまでの途中、ダウンタウン周辺には放置された空き家群も多く、さすがにその人口の減少の跡も残る。話は変わって、まちなかの店では多くのビールが提供されるが、ウイスキーやワインの飲めるバーはさすがに多くない。まあ、僕の住む芦屋なら、朝からワインもウイスキーも飲める。(笑)◆昨夜は、一連の時差と昨日の歩き疲れで爆睡。朝から、緑豊かなピッツバーグ大学の中でひときわ目を引く高層のカテドラル・オブ・ラーニング(学習の大聖堂)へ。途中の道は住宅市街地を通り抜けることにしたが、やはり空き家は多く、ここがアメリカだという、いわゆるらしいまちなか感は相当にある。大学周辺はさすがににぎやかだが、3階まで吹き抜けの大聖堂は荘厳な学習室。広く散在する机でPCを見ながら学生が勉強している様は、不思議な光景でもある。ここから、これも目当ての子供病院へ。同じUPMCでも距離は相当に離れていて、オークランドの北西。グーグルで調べたバスがなかなか来ずに、ようやく乗ったバスは以外にも途中から左折し、川を渡り、さらに丘を登る。なんと、逆方向だったのだ。おかげで郊外の中流の人たちが住む住宅地を見ることができた。バスの運転手(女性)は親切に、リターンはタダで乗せてくれたが、戻ったオークランドで(途中)下車し、遅めのブランチを中華ビュッフェで。料理はおいしく種類も多いのだが、残念ながらアルコールがない。聞けば、上の店で買って持ち込みOKだと。明日はそうしよう。食事後は、気が変わってダウンタウン迄バスに乗り、昨日休みだったインフォーメーションで地図をもらい、ストリップ地区迄北上し、そこからバスに乗って目指す小児病院迄。鮮やかでモダンだがその分節の考え方は見事に理にかなった小児病院が現れた。しかし、警備の人たちが大変で、内部のフロント、ロビーまわりだけならまだしも、道路側から外部の写真を撮っているのも消せという始末。安全の考え方がさすがにアメリカというか、高い料金を取る家族のプライバシーにはここまで神経質になるものなのか。気分を害してイタリアンタウンまで歩く。ここでも、周辺には空き家が多く、確かに人口が減って価値上昇の町になったとはいうものの、晴れの部分だけではない真実も知る。人口が半分になるということは、こういうことなのだ。十分に使える建物が、住宅が空き家になるのだ。大通りには面白そうなバーもどきも多かったが、ハッピーアワーには少し時間があったので、ここからオークランドまでバスに乗って戻ることに。もう一度、ピッツバーグ大学内を散策し、おなかもすいていなかったので、冷えたギネス缶を買ってホテルに戻る。夜はホテルで仕事。◆最後の日は、整備されたウォーターフロントから、もうひとつのインクライン(デュケン線)に乗り、丘の上を歩いて再度、市街を眺める。整備されたところはさすがによくできている。◆ずっと雨の天気予報が見事に外れて晴天続き、特に午後から夕方は暑いほどだったが、トロントへの移動の朝はすごい豪雨で、ヤッケでバス停まで。例の小さな飛行機は遅れに遅れ、トロント泊がなければ乗り継げなかった。トロントも雨の予報が何とか晴れて、Sick Kids Hospitalへ。これはすごい。子供には楽しいショッピングセンターだ。建物も良くできている。屋外への配慮も良く、日本の病院もこれはぜひ参考にしてほしい。ピッツバーグの小児病院のほうが雰囲気が小ぶりで良いところもあるが、こちらは堂々としており、パブリックの部分は全く写真OKだった。◆帰国の日は早朝から霧に煙るトロントのウォーターフロントへ。超高層がかすんでいる。駅前が再開発の真っ最中で、最近の建物はどれもクリスタルタワーばかり。きれいなのだが足元がつまらない。昨夜行ったチャイナタウンのにぎやかな建ち並びこそ街中の楽しさだと、例の小田実のベトナムの話を思い出す。世界最大の多国籍都市の未来がクリスタルタワー都市では少しがっかりだ。それはそうと、キガリ行きを契機に、「アフリカンブラッドレアメタル―94年ルワンダ虐殺から現在へと続く『虐殺の道』大津司郎」を電子初期で読む・。ふうむ。なかなかに悩ましい。

No.97(2002.04.18)『糟谷さんからのメール』

元所員で、今は兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所に行っている糟谷さんがそこの広報誌アシステック通信に「元気になる住まいづくり-公営住宅の建て替えを通して-」という文で、御坊の建て替えのことを書いたからと言って、その冊子を送ってくれた。内容が高齢者の話だったので、早速、石東直子さんにfaxした。その後に届いたメールには、「江川さんの週間ニュース、忙しいようでなかなか意見や考えを聞けずに残念です。楽しみにしてますのでもっともっと書いてください。」面目次第もないところだ。私の意見ではないが、糟谷さんには、月末には御坊のことで良い報告ができそうだということを、この場を借りて言っておこう。さて、その御坊市営島団地の建て替えは、第2回の関西まちづくり賞を頂いたが、今年、 NO.79と NO.81で紹介した若宮地区の再生事業が、第4回の関西まちづくり賞をいただいた。26日が表彰式。

No.98(2002.04.22)『集合住宅地の設計』

この週間日記もGW明けには 100回を数えることになる。「これは神戸芸術工科大学の鈴木成文先生の学長日記に源を発する。文字数も同じである。色々考えたが、この量が一番よさそうだった。先生は、昨年1年間の日記をまとめて、本にされている。週間日記だから、7年間続けてやっと同じ厚さの本になる。当面というには長い目標ではある。」と書いたのが NO.29。ようやく2年。継続は力なりを信じて、これからも続けていきたい。前回の糟谷さんのメールは結構プレッシャーで、できるだけ僕のスタンスがわかるものにしたい。その鈴木先生もこの春、学長をやめられて、東京に戻られた。最初に神戸芸工大に非常勤で呼ばれたとき、課題をどうしようかと相談させていただき、まだどうなるかわからなかった若宮の敷地が良かろうということになって、その後、課題のタイトルが集合住宅から、集合住宅地に変わっていったのが感慨深い。

No.99(2002.05.01)『日本都市計画学会賞』

御坊市営島団地の再生事業で、御坊市、神戸大学平山研究室、現代計画研究所・大阪の3者が、日本都市計画学会の2001年度の学会賞(計画設計賞)を頂くことになった。過去の受賞作をみても、たった 100戸の公営住宅の建て替えが受賞した例などないから、これも時代なのだろう。平山さんが生活実態調査に入ったのが1990年、我々が参加して再生計画を策定したのが1993年、1995年に第1期15戸の基本設計を開始して、昨年末に第5期が竣工、ようやく団地全体の半分(新規敷地分)が完成したという長い仕事。その間、事務所の主な担当者も、基本構想は星田君、1期は米谷君、糟谷さん、2期は金君、3期が沈君、4、5期が糟谷さん、吉川さんと、実に大勢のスタッフが関わった。糟谷さんは大学院の修士課程時代からの関わりだ。今後はより多くの人の議論の題材となり、少しでも社会の環境が良くなることにつながれば良いと思うのみ。

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