top of page

n038 『手術とJUDI パブリックデザイン賞・大賞』

今週は、白内障の左目の手術をした。目の手術ってやっぱり怖いので、ずっと逃げていたのだが、経験者からの体験談と、無理やり背中を押してくれる(検査予約を夜中に飲んでる最中に頼んでくれた)友人もいて、7月29日の検査、9月1日の執刀医検査を経て、10月14日の左目手術、28日の右目手術となった。午前中の手術のため、前日午後に入院。術後も泊まって翌朝退院。退院の翌日は、UR技術・研究報告会の特別講演を頼まれていて、がちゃ目の常態で「UR男山団地の住民拠点施設、だんだんテラスの目指すもの」という話をさせていただいた。学生主体で地域と協働し、365日常にオープンしている施設で、実際に現地で運営している学生(大学院生)も駆けつけて登壇してくれた。翌日に術後の再検査をし、仮眼鏡の処方箋をいただき、発注をした。その際にわかったことは、新しい軽度の眼鏡をつければ、こんなにもはっきりと世の中が見えるようになるのかという驚きで、よく聞く話ではあるが、これならもっと早くやっておけばよかったということに。土曜日は、団地再編セミナーだったが、JUDIパブリックデザイン賞の表彰式があり、受賞が内定しているので出席するようにとの連絡をもらい、東京まで出かけた。目神山の住民集会所「やまびこの家」が受賞したのだが、なんと最後の最後に発表された大賞を、浜甲子園さくら街が受賞したのだ。大きなガラスのトロフィーと、少し小さ目な(それでも大きい)トロフィーの二つをいただいた。会場には、卒業生の横山君と五十川さんが会いに来てくれて、懇親会まで残ってくれた。

No.112(2002.07.29)『22時まで』

依頼された原稿のために、以前にやった住宅地(主にまちなみ形成の仕事)の現地を見て回った。10年以上前のものがほとんどである。季節のせいもあるが、緑が豊かに育ち、うまい具合に計画の<らしさ>が消えて、なじんでいるものが多かった。物を揃えるというよりは、空間や作り方の連続性が、あからさまでなく計画されたまちなみの良さが再確認できた。計画意図はここ。さて、土曜は仕事と学校の合間に、友人の、伊賀上野の山の窯の火守り庵に行き、夜空を眺め、長椅子の上で寝た。快適な夜。日曜日は三重大の課題の最終講評会。40人ぐらいの作品の講評をひとり一人やっていたら、13時にはじめて18時に終わる予定が22時にもなってしまった。ゲストに来てもらった小山さんたちも最後までつきあってくれた。感謝!課題は 100戸程の低層公営集合住宅の建替の課題。単体ではなく群の設計でもある。熱心に取り組み、良い案も多く◎

No.113(2002.08.06)『第8回家づくり賞』

「2001年に「住宅建築」誌に掲載された住宅の中で、家づくりの会<住宅設計者の会、東京>会員が、最も共感したものを選定し、同誌誌上で発表する。」「ふと目にとまった断面図。気持ち良いかも・・・。ファサードは森。ついつい引き込まれた。・・・自然の中に建てるといっても多くの場合その存在は少なからず誇示され風景の一部として一体化される。今田町の家の場合は同化しているのである。」倉島和弥「美しい・・・これが第一印象。建物の屋根が森にかくまわれるように見えて、この場所に新しい風景をつくりだしている。・・・こんなにも自然を壊さずにやさしく、かつ意志強く建物を建てることができる・・・素直に嬉しさがこみ上げてきた。そして、自然と調和しつつ山の斜面から、力強く空中に持ち上げられたステージの上の住まいは・・・ここに住まう建て主の無心なまでの日々の営みが感じられたように思う。」松本直子

No.114(2002.08.12)『団地再生・リノベーションの研究会』

まだ、立ち上げの準備段階ではあるが、戦後に建てられた公団住宅団地や公営住宅団地の建て替えが増えてきている現在、上物(住宅、住棟)の更新手法もそうだが、街づくりの側面からもこれを議論したいと言うことで研究委員会を発足させようとしている。東京では、まさに「団地再生研究会」というのがあって、今秋にも本を出版するということだ。5月にライネフェルデに行ったのが彼らと一緒で、関西でも、関西らしく再生の問題に取り組もうということになった。われわれは、20年前に大阪で事務所を開設したときの初仕事が、すでに、当時としてはまだ珍しかった広島の庚午南団地の建て替えであったし、以後も、御坊をやってきて、今もいくつかの建て替えに携わっているが、なかなかに住宅に特化している法制度の問題が難問だ。過去の事例から、やりたくて出来なかった内容を集めて議論するところから出発しようということになった。

bottom of page