n045 『松本清張』
年末年始と、松本清張原作の古いシリーズの特集がCATVであったので、ビデオで撮り溜めして夜中眠らないで見まくった。題名だけでは覚えていなくて見終わる頃に見たことがある話だと気づいたものもいくつかあった。そうは言っても、時代と俳優、脚本家が異なればまったく違った感覚にもなる。うれしいのは、懐かしい風景と懐かしい俳優だ。1970年代後半のシリーズで、もはや故人も多く、しかし皆若い。さすが松本清張だけあって、主人公は皆、チェーンスモーカーのようにうまそうに煙草を吸う。いらいらした時や、気を紛らわせるのに煙草は一番の表現道具だ。一休みの煙草もなかなか良い。警察に引っ張られた被疑者も皆煙草をねだる。今でもそうなんだろうか?電車の中でも、訪問先でも、皆プカプカ吸いまくっている。結局、松本清張の話はおもしろい。社会を背景にした悩ましい話も多い。一ひねりも効いている。脚本家も懐かしい名前が多くて、それぞれの違いも興味深い。昔はみんな、TVの前に座って見ていたのだろうか?最近はまったくTVを見なくなった僕、いや見る暇がなくなったのか。酒を飲む時間は無理やり作るのだけれど。うまい具合いに、NO.134~135は13年前の暮れから正月にかけた話だ。(笑)
No.133(2002.12.25)『感謝!』 今年、皆様のご支援のもと、現代計画研究所・大阪は20周年を迎えることができた。考えれば、<日本都市計画学会賞・計画設計賞>受賞は節目の年というわけだ。夏には思わぬ<家づくり賞>なども頂いた。現代計画研究所全体としても30周年を迎え、藤本が、<都市住宅学会賞・論説賞>を受賞し、秋には<黄綬褒章>まで賜った。ひとえに、大勢の方々のご支援の賜と、衷心より感謝申し上げる次第である。思えば、大阪の事務所の初仕事は広島市営庚午南住宅という公営住宅の建て替えであった。都市計画学会賞の御坊もそうであるし、今も建て替えの仕事に携わっている。同時並行で住宅地づくりの仕事もいろいろとさせていただいた。住宅生産振興財団発行の「家とまちなみ」2002.9号にそのあたりのことも書かせていただいた。お読みいただければ幸いである。団地や地域の再生は今後、更に重要な課題となる。気を引き締めて頑張る決意。
No.134(2003.01.03)『旅の終わりに』 昨年末の日曜日だったか、出かけにつけたTVが気になって、ビデオ収録。レコード会社の演歌担当プロデューサーの話。主役のややオーバーな熱演が、なぜか涙を誘う。「使い古した言葉、代わり映えのしないメロディー。しかしなぜか日本人の心に触れる・・・」五木寛之原作監修。むむ、京都南座の新春公演も確かこれだ。/流れ流れて さすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路 希望も恋も 忘れた俺の 肩につめたい 夜の雨/春にそむいて 世間にすねて ひとり行くのも 男のこころ 誰にわかって ほしくはないがなぜかさみしい 秋もある/旅の終わりに みつけた夢は 北の港の ちいさな酒場 暗い灯影に 肩よせあって 歌う故郷の 子守歌/ 確かに新しい言葉も気の利いたセリフもない。良く、これだけの言葉で・・・というのが演歌の演歌たる所以かもしれない。男一人、コートを羽織り、粉雪舞う駅。立原岬作詞。
No.135(2003.01.06)『中国』 中国論議がかしましい。大前研一は、「いまの日本は100年前のイギリスに似ている。イギリスは当時の経済新興国のアメリカを『やがて限界が来る』と嘲笑し、衰退した。日本人経営者もまだ中国への偏見が根強い」と、腰の引けた対中国ビジネスを批判している。'98年の朱鎔基首相の改革を経て大きく生まれ変わり、すざましい勢いで成長を続ける中国に、欧米は競って進出していると。一方、雑誌SAPIOの特集「2003年中国経済大崩壊」米在住中国女性エコノミスト何清漣「政府や党が資本、土地、人的資源などの分配を独占的に統制しているので、真の市場経済とはなっていない」米経済研究者J・スタッドウエル「諸外国の大企業が中国を真の市場経済となった木馬だと信じて、自分たちの側につけてみると、その木馬の内部からは社会主義、国家統制の武装兵士達が飛び出してきて、諸外国の経済活動をめちゃめちゃにしてしまう。」