n052『澤良雄 著作(写真)集』
「from the desk of Yoshio Sawa 江川直樹様 2010年5月15日「ご無沙汰しております。昨日は帰国早々の電話でびっくりしました。飛行機が成田空港に着陸と同時にバイブレーターが作動したので。同封のCDは20世紀、『at』誌に連載又は掲載したものをin Designで編集して、PDFで書き出した私の著作集です。 Windowsでも読めます。*<PHOTO INVENTORY> :私の撮り貯めたイスラム建築写真、最後に私のイスラム建集遍歴紀行文。 *<三都アールヌーボー物語>:ベルギーの「鴻臚館」建設の現場監理に通う途中や、リエージュ大学での講義の間に欧州を散策し、取材したもの *<数奇者の心意気、臥龍山荘> :愛媛県大洲の数寄屋探訪 *<OLDIE DESIGN MEMORY> :西澤文隆さん直伝の空間を「現場で考える無手勝流」で地方の古建築を訪ね、 3年半にわたって連載したもの *<島・佐波文化のかたち>:佐渡島に残る能舞台の探訪記録 *<書院、海を渡る>:ベルギーに作った書院「鴻臚館」の建設物語 ご笑覧ください。コピーはフリーです。時間のある時に感想をメールで送っていただければ幸いです。澤良雄 Atelier Sawa」学生が、後楽園の流店に行ってきたというので、今は亡き澤さんからいただいたCDをゼミ生全員に配布することとした。以前にゼミで話していただいた時に頂戴したものだ。
No.151(2003.4.28)『竹・布・木』 JR高槻駅北にある上の宮天満宮の新社殿と、川島織物文化館、京町屋再生の現場を1日で見て歩いた。冒頭のものは、竹材でできた「竹の神殿」ということで興味があったのだが、なんと、竹の集成材を使っているというもの。屋根の上と天井、内壁にはそのままの 孟宗竹が添付されていた。10年以上前になるが、たしか「ならまち千年」だったか、いくつかのチームで、JR奈良から東大寺にかけての大きなパノラマの透視図を描いて提案するというのがあって、そのときに、竹の可能性について議論したことを思い出した。集成材に使用してある竹は中国のもので、5年ものを伐採し、細かく分けたものを集成材にして使う。フローリングは商品化されているそうだ。日本の木で、60年ぐらいの無垢ものを使って長持ちするように創るのとくらべると、なんだか、不思議な感じがする。川島では、緞帳や帯の製作現場も拝見。この工場は手作り物。
No.152(2003.5.06)『南芦屋浜街びらき』 震災復興公営住宅の竣工入居(1998.4)から5年後の先週末、南芦屋浜街びらきイベントと称して、潮芦屋フェスティバルが開催された。潮芦屋?「旧来から芦屋にあった美しい砂浜を復元した人工海浜のほか、緑をふんだんに取り入れた落ち着きのある環境を表現するとともに、昭和初期に関西の財界人が好んで移り住んだといわれる高質で趣のある住宅地を再現したいとの願も込めて、柔らかで優雅な響きのある海水を意味する「潮」と全国的にブランド力のある「芦屋」をあわせ、漢字の愛称を選びました。」街の愛称を全国から募集し、芦屋市在住の方の案が当選した。埋立地の西側一体が、旧芦屋浜との間の運河から総合公園に連続して人工海浜までパブリックな空間が広がる。総合公園は天然芝のグランドだ。人工海浜は結構広く雄大で気持ち良い。磯もある。 125haの全周に遊歩道があって、自転車で走ってみた。島の全周は 5kmほどだと思うが、マリーナのところが入り組んでいて、7.5km No.153(2003.5.12)『うつくしがはら』 「美ヶ原とはあまりにも直接的で、よく名づけたものである。語感だけ聞いていると、命名者の思いが勝って名前負けしそうな感じであるが、実際にいってみると納得する。標高2000メートル前後の、高原というよりは高原台地といったほうがふさわしい。5キロ平米におよぶ広大な高原風景は、島国の日本ではなかなか見かけないものである。最高峰の標高2034メートルの王ヶ頭(おおがとう)を中心に、いくつかの峰峰がゆるやかな起伏を連ねながら重なっている。荒荒しい峻険な峰はないかわりに、ここには穏やかな調和というものがある。ここにくると、日本の風景の美しさを再認識するであろう。・・・寒暖の差が激しい高原のため、雲がでやすい。ある朝、美ヶ原高原美術館のあたりから北東を眺めると、一面の雲海であった。下界は曇っても、天上は澄み渡っている。」立松和平