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n013 『南方熊楠』

「幼い時から驚くべき記憶力の持ち主で歩くエンサイクロペディア(百科事典)と称された反骨の世界的博物学者。19才の時に渡米、粘菌の魅力にとりつかれ、その研究に没頭、サーカス団に入ってキューバに渡るなど苦学しながら渡英。その抜群の語学カと博識で大英博物館の東洋関係文物の整理を依頼される。一方、科学雑誌「ネイチャー」に数多くの論文を発表。また、孫文と知り合い意気投合、以後親交を結ぶ。33才で帰国、紀州は田辺に居を構えると精力的に粘菌の研究に打ち込み、その採集のため熊野の山に分け入り、数々の新種を発見。 一切のアカデミズムに背をむけての独創的な学問と天衣無縫で豪放轟落な言動は奇人呼ばわりされたが実はやさしい含羞の人であり、自然保護運動に命をかけて闘いぬいた巨人であった。 (前進座創作劇場 およどん盛衰記 より転記)」 先日、南方熊楠記念館に行き、谷脇館長、植本事務長他に案内をしていただいた。番所岬の先端にある記念館は、築50年を迎える老朽化した建物だが、展示が素晴らしい。変形菌(粘菌)がまた興味深い。場所も素晴らしい。お薦めの記念館である。

No.37(2001.02.19)『故郷出演』

「車も入れない石段急坂の町。若者離れ高齢化が進む。皿倉山中腹に暮らす老女マリアの日常を描いた、ノンフィクションフィクション。・・・館内は、老若男女スーツ制服ジャンパージーンズでムンムン。映画が始まるやいなや、頷く笑う気の毒がる指し示しては解説する。馴染みの風景、方言の台詞。ワンカットごとに、相好を崩し。「ばばあ、まだ生きとるやんか。」挨拶代わりの憎まれ口、応酬にやんや。マリアがスイカを落とすシーン。人生という坂道を上り続ける途中で、落っことしてしまったものは、恋か夢か家族か友達か若さという時か。追いかけて階段で転び傷つくマリア。痛みを感じ倒れたまま泣いたのは、スクリーンの中の彼女だけじゃなく。・・・わが街を映画に。・・・今回みたいに、不便不自由老朽高齢頑固無愛想的日常&やまさか的町づくり風景が、どしどしデビューできるのなら。」毎日新聞北九州0215北九州学 石丸美奈子

No.38(2001.02.26)『宇和島市 遊子(ゆす)』

「峠を越えると、対岸の急斜面が奇妙なモノで覆われていた。灰色の鎧か?一瞬アッケにとられたが、アレが旧遊子村水ヶ浦の段々畑らしい。それにしても、畑にあるはずの土や緑の気配がまったくない。近くまで行くと、それは石を積み上げて作られた巨大なダムにみえた。・・・段々畑だというのに、目に入るのは石、石、石、石ばかり。それが山のてっぺんまで続いていた。何段あるのだろう。一、二、三、と数えてみたが、上の方はかさなりあって数えきれない。・・・段々畑の縁につけられた歩道を登った。空身でもきつい、胸突き八丁の傾斜。足元にすぐ畑が現れた。ちゃんと土があったのには、ホッとした。・・・種芋を窪地にポンと放りこみ、鍬でザザッと土をかける。ポン、ザザッを5回繰り返しては、フ~ウッと腰をのばしては2分ばかり海を眺める。そんなペースでジャガイモを植えているのだった。」斉藤潤 1/100の旅⑩ ana機内誌

No.39(2001.03.07)『公共圏』

「メディアテークは、もちろんサービスを提供する施設であるが、そこにはより広義の可能性が含まれている。ここで指摘しておきたいのは公共圏発生装置としての役割である。現代社会の危機を市場経済や官僚組織からなる「システム」による、それ以外の領域「生活空間」の浸食ととらえたドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスは、肥大化するシステムに対抗して生活社会を豊かにする方策を「公共圏」の確立に求めた。彼は、「発見と問題の解決のための非組織的なコミュニケーションの流れ」として「公共性」を定義した上で、市民(公衆)の継続的参加でこれを「圏」として維持していかなければならないと説いた。・・・前節のサーフェイスに関する記述が、「発見と手触りを強め、それを触媒として経験を発生させる」場と言う公共圏の描写(花田達郎)と類似しているのは決して偶然ではないだろう。」 小野田泰明 新建築2001-03

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